
知覧に行けなかったので、せめてと思い、この映画を観ました。
確かにすばらしい映画でした。
ただ2011年に本を読んだ時のブログに書いたことが、
残念ながら映画ではほとんど触れられていなくって、それが
物足りなさにつながっているんでしょうね。
そもそも戦闘機の目的は何か?
この出発点が日本とアメリカで大きく違っていたんだと思います。
日本では、戦闘機の戦闘能力をいかに高めるかに開発の主眼が
置かれていた。そこには操縦者は生身の人間であることは考慮
されていない。
優秀なパイロットであっても、それは消耗品に過ぎなかった。
世界一優秀なパイロットが一発必中で敵艦を沈める。
しかし如何せん世界一のパイロットであっても、一発必中など
ありえない。しょせんは精神論。圧倒的な物量の差をごまかす
には、精神論に頼るしかなかった。
すべて企業経営に通じることです。

「国を守る」などとんでもない建前。
「愛する家族を守るため」ですら、そう思わないと「十死ゼロ生」
の攻撃になど出られないのです。決して本音ではないのです。
特攻に向かった兵士たちの本音は、映画の中のやくざの親分が言って
いた
「九死に一生の作戦なら戦うが、十死ゼロ生の戦い
などオレは絶対に志願しない!」
というものだったと思います。
なぜ「お国のため」と建前に殉じた特攻兵の残された家族があの
ような目に遭うのか。お国は一体何をしてくれたというのでしょうか!
結局、当時の日本という国は、今のブラック企業と同じ。
組織のために、個人に犠牲を強いる。
風土のいい会社は「間違っているかもしれないことでも言える
環境がある」と言いますが、「正しいことでも言えない」組織に
未来は無い。
国も、企業も、いつまでたっても過去の過ちから学ばない、学べない。
これでは日本は永遠にゼロのままです。
『永遠の0』というタイトルはそういう警鐘なのでしょうか?
映画では、コンピュータで作られた戦闘シーンにどうしても目が
行ってしまいますが、作者が本当に伝えたかったことはそこには
ありません。
本を読まずに、映画だけ観た人には、ぜひ本を読んでもらいたいと
思います。