
渋沢栄一氏の玄孫(ひ孫の子)である渋沢健さんから届いたニュースレターに、 「子曰君子和而不同章」(子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず)という『論語』の13番目の章の一節と、渋沢栄一さんの次のような解釈が紹介されていました: 「和と同とはあい似ておれども、実は大いに異なれり」。
「和して同ぜず」とはよく言うものの、「同じて和せず」と一緒に使われることは少ないのではないでしょうか。少なくと、私はセットで使ったことはありません。でもこうやって並べて使うことによって、『和』と『同』の違いが際立ちますね。
徳のある立派な人は他人と調和しようと努めるが、むやみに同調したり、相手の意見に従ったりはしない。他方、徳のない人は権力や周囲に 迎合して同調 するばかりで、誠実な調和や真の理解はない。
もともと、『論語』には、『君子』と『小人』という二人を使い、字面は似てるが、本来の意味は非なることを、実にイメージしやすく伝える場面が多くあります。これこそ先人の知恵。
さて、同じ『わ』でも磯輪の『輪』とは? 私の定義は『和』の状態を次々とつないだものが『輪』。 そう、ネットワーキング。 さすれば『君子は和して同ぜず、然れども輪す』。