
名大附属高校の同級生だったYoshikoちゃん。高校時代の彼女との記憶はほとんどありません。卒業後、クラス会で、彼女が翻訳の仕事をしていることを知って、いつか何か(?)手伝ってもらうことがあるのかな~という流れに。 最初は、『磯輪日記』の英語版 "ISOWA Diary" で、ひとみや光の英語の添削。 そうして2010年、『ISOWAは止めません 止まりません』の英語化。 ちなみにこの時、私の最初の原案は、" We, ISOWA never stop you. Nor do we stop ourselves." 自分なりに結構頑張って考えて、アドバイスを求めました。そこからJohnも加わってくれました。Johnは、ジャーナリストでJapan Timesの記者でした。二人と意見交換した結果、今の ” ISOWA keeps you going - always on the go. "に決めました。 直近では、新しい機械のネーミングを手伝ってもらいました。こういう協同作業、とっても楽しいんです。このケースに限らず、相手と対話を繰り返し、考えやアイデアを練り上げていくプロセスがたまらなく楽しい。そこからとびっきりの名前が生まれました。そのネーミングについては、機械が完成した暁に、改めて紹介しますから、お楽しみに。
そして今回の伊那訪問のこと。 それは今年2月、東京でのプチ同窓会のことでした。
Yoshikoちゃんから、「今度、Johnに会ってみない」という提案があり、『喜んで!」。この時はまだ彼女はフルタイム東京人だったけど、その後、伊那への半移住計画を実行しました。「だったら東京より、伊那で、ツノ坊も一緒に4人で会おう」ということに。で、YoshikoちゃんとJohnが伊那へ行く日程を毎月のように教えてくれるんだけど、私の予定が合いません。それから何度も日程を調整し、やっとのことで先週土曜日に実現したというわけです。 本当に実現するまで、長かった~ これ、ひとえに懲りずに誘い続けてくれたYoshikoちゃんのおかげです。ありがとう!
初めて会ったJohnは、5か国語を話すことが分かりました。それ以上に印象深いのが、ある面、日本人以上に日本人らしいこと。Johnは私より若いのに、私の父たちか、それ以前の世代の田舎暮らしの、物静かだけど博識な日本人のおじいちゃんのようでした。知的なYoshikoちゃんとお似合いの夫婦だな~
別れ際、Yoshikoちゃんが、「ようこそ伊那まで夫婦できてくれて、ありがとう」。だから「伊那まで会いに来る私も私だけど、遠方に住んでる旦那の高校時代の女友だちの家まで一緒に付いてくるツノ坊もツノ坊だと思わない?」。とYoshikoちゃん、「そうして誘う私も私だよね」。 一同大爆笑。
そもそも今回の伊那訪問は、その次には名古屋のわが家に来てもらうこととセットになっているので、次回は、二人そろって、名付けの親( Godparents )として機械を見学がてら、遊びに来てね。再会を楽しみにしてる。 心づくしのおもてなし、本当にありがとう!