
これが筆者が、2年間の中断期間を含むと計12年間で偽造した約1万枚と同じタイプの馬券です。 仮に、昭和52年第2回東京競馬場開催6日目第10レース1-7で万馬券が出たします。 そうなったら、早速同じ東京競馬場の8日目の第10レースの1-7の馬券(上の写真)を購入します。そして『8』日目を『6』日目にバックデート偽造するという手口で、合計1万枚の万馬券(上の写真は、ネットで見つけたただのはずれ馬券で、偽造馬券ではありません)を生み出しました。
その12年間の馬券偽造人生で、3回お縄となりました。1回目は1974年。この時は始末書のみ。2回目は1979年。懲役2年でしたが、執行猶予付き。いずれも作業場などが調べられることはなく、逮捕時、払戻金は受け取っていなかったので、未遂扱いでした。もちろん実際にはすでに何千枚の偽造馬券で大金を手にしていましたが、中央競馬会は『未遂』だったということで、当たり馬券の確認作業手順は変更しませんでした。だから払い戻しの手順をいっそう精緻にはしましたが、相変わらず偽造、換金は続けました。
そして1983年、3回目の逮捕。この時も未遂で終わったかもしれないが、とうとう筆者はここで覚悟決め、問われること以外も、100%罪を認めることにしました。取り調べる刑事が戸惑うほど正直に過去にさかのぼって洗いざらい、自ら進んで自白しました。そんな展開となり、警察は驚くし、被害の確認を受けた中央競馬会も、過去10年以上にわたって1万枚の偽造馬券に対して、払い戻しをしていたことなど恥ずかしくて、認めたくないので、調査を拒否する始末。再三の調査要請にやっと渋々応じて、やっと全容が解明されることに。
裁判には、馬券偽造の話を聞こうと、大勢が傍聴を希望しました。筆者が法廷で偽造方法を詳し証言しようとすると、逆に犯罪の手口を真似られては大変と、裁判長から止められるという何とも異例の裁判となりました。結果、懲役5年の判決を受け、山形刑務所へ収監されました。
刑務所の生活は、予想をはるかに超える厳しさでした。そこで日ごろの生活態度をとことん正し、模範囚になり、一日も早く仮出所を勝ち取ることを目指しました。「偽造の技術を山形刑務所のために使っていただけないでしょうか」と直訴して、刑務所の行事のポスター描きが始まりました。そこから、定められて作業時間を超えても残業し、土日ももちろん働く。刑務所にとってなくてはならない存在(笑)になりましたが、そのおかげで、刑期を1年少し残したところで、仮出所。その後は、極めて真面目に商業デザインの仕事に就きました。
ユニークな、風変りな、犯罪ものなのに、面白い『自叙伝』。早速、「あの本、読みたいのですが、社内の『本の森』で読めますか?」という質問を受けています。もちろん本当に面白かったら、社内の希望者に貸し出そうと思って、購入したので、貸し出しは行います。ただこの本は、今やなかなか手に入らないし、古本とはいえプレミアムが付いた値段でしかかえない古本です。 だから私から個人的に、2週間単位で貸し出します。貸出先第1号は、組立のSくんに決まりです。 他に読みたい人がいたら、声かけてください。順番に貸し出します。