磯輪日記

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侍従から見た平成天皇皇后両陛下

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本当に久々に企業如水会に参加しました。講師が、私より5年先輩となる多賀さんという講師の職歴の中のひとつ『侍従』というお仕事に興味があったからです。名古屋の東海中学、高校出身で、当時から『神童』として先生たちからも言われるほどだったと、同校の1年後輩でもある蔦茂のF先輩から紹介がありました。一橋を卒業後、外務省に入り、すぐにケンブリッジ大学院に渡り、法学修士の学位も取得。欧州各国の公使などを歴任されました。その間、1993年から3年間(省庁からの出向者の場合、任期は3年と定められているそうです)、平成天皇(今の上皇)陛下の侍従を務められ、この日は、多賀先輩から見た素顔の平成天皇皇后両陛下を語ってくださいました。

 

最も印象的だったのは、上皇、上皇后陛下がなぜご立派かという点です。その一例として挙げられたのが、阪神淡路大震災後の両陛下の被災地お見舞いにまつわるエピソードでした。震災3日後、当時の村山総理が現地お見舞いに出掛けたけど、被災地では、政治の初動の遅れに対する不満や極限状態の疲労から、政府への強い怒りや不信感が渦巻いていました。政治的なパフォーマンスとしてお見舞いに行く政治家が多い中、村山総理は周囲の反対を押し切って「現地を見て、直接声を聴くべきだ」と3日目の視察を強行しました。ところが、「お前、今ごろ何しに来たんや!」などの罵詈雑言。そうした張り詰めた空気の中であっても、当時の天皇皇后両陛下は被災地を見舞われました。極めて異例の軽装で被災地に入られ、 スリッパも履かず、冷たい体育館の床に直接ひざをつき、被災者一人ひとりと目線を合わせて熱心に話を聞かれました。皇后さま(当時)は赤坂の御所からわざわざ持参された黄色い水仙の花束を、まだ煙がくすぶる焼け跡にそっと静かに捧げられました。 多賀先輩曰く、「両陛下は、平時であっても、常に国民のことを思い続けていらっしゃった。それをこういう象徴的な形で国民が目にすることになった」とお二人の国民への想いの深さ、常に国民に寄り添う姿勢を紹介してくれました。

「『役人の心得』は「隠していると悟られず、あたかも隠していない、知らないかのように話すことです」。 っていうことは、今日の話の中にも知ってても、知らないかのように話さないでいたことがきっとたくさんあったんでしょうね(笑)