
巨大な銅像と、その前に整列した銅像の人物と同年代らしき面々。
銅像の人物は、母校一橋大学の恩人でもある渋沢栄一翁。
そして大学のクラスメイト10名。
深谷で、私と同じように中小企業を経営しているTくんの
「ぜひ母校に深い縁のある渋沢栄一翁のゆかりの地を
訪ねつつ、旧交を温めようよ」
という企画に、同級生9名が集いました。北は北海道、西は京都から。
渋沢栄一ファンの私としても、とても楽しみに参加しました。

まず渋沢翁生誕の地を訪問しました。
渋沢家は農家でしたが、その後、養蚕や藍玉つくりなどを始め、とても
裕福でした。

500の会社を興し、それ以上にすばらしいのが600の慈善社会活動にも
参画した渋沢栄一ですが、幼少の頃から論語などを学び、そこから彼の
『論語と算盤』という思想が生まれたようです。

これは渋沢栄一記念館に残る、彼の手になる『論語』の写本。
几帳面さが字にも現れているし、達筆ですよね~
冒頭の写真のように実に大きな栄一翁・・・と思いきや、実は、

ご覧のとおり、とても小さい人だったそうです。
若い頃と、晩年の二人の渋沢栄一に囲まれて、思わず、肩組んじゃいました 笑
渋沢栄一の思想を受け継ぐことができたのか、私の瞳がキラキラ光ってます。
きっと何かのご宣託を受けたんでしょう。
残念ながら、今日現在では、それが何だかを自覚するには至っていません・・・
記念館の方がいろいろ案内して下さったのですが、銅像のところで、いつくか
興味深い話を聞かせてくれました。
ひとつは、
「この銅像見ると、妙なことに気付きませんか?
そうです。四頭身なんです。
確かに小柄ではありましたが、これほど頭が
大きかった訳ではありませんよ。
なぜこんな四頭身の像になったかというと、
実はこの銅像は最初高さ10mの台座の上に
設置されたんです。
となると頭の位置は地上10数mともなるので、
小さくなってしまいます。
そのため像をつくった先生が、頭だけ大きめに
して、10数m下から見て、バランスが取れる
ように制作されました。
でも今は台座はなくして、地上に直に設置する
ようになったので、四頭身になってしまいました」
そしてもうひとつ。
「渋沢翁の右手を見てください。

何を持っていると思います?
そうです。論語です」
そこですかさず私:
「どうせなら、左手には算盤を持っていて欲しかったな」
と切り替えしたら、解説の方、
「うまいこと言うね~」
と論語全20篇をお土産に下さいました。
もちろんお土産話の部分はウソですよ。
こうして渋沢栄一翁と幹事のTくんのおかげで、大学の同級生10名が深谷の
地で再会を果たすことができました。
夜は、Tくんの小学校時代の同級生夫婦が営む深谷駅前の 鮨処ちよだでの
会食でした。
そしてそこでは、

右手に持っていた論語を深谷ねぎに持ち換えて、大いに旧交を温めました。
そして全員、Tくんから、もうひとつの深谷名物で渋沢栄一翁も大好物だった
(かどうか、知りませんが 笑)煮ぼうとう

をお土産にもらって、帰路につきました。
Tくん、本当にお世話になりました。
ありがとう!